十二因縁

仏教用語。「私という存在についての因縁(因果)論による説明」(『般若心経は間違い?』アルボムッレ・スマナサーラ著、宝島社新書より。以下、すべてこの本からの抜粋。自分の言葉では説明できない・・・)

「無明があって物事を認識しようとする(行)。認識(識)が生命(名色)の眼耳鼻舌身意(六処)それぞれに生まれる。ものに触れる(触)と感覚(受)が生まれる。その感覚が、いい感覚だったら欲しくなるし、嫌な感覚だったら逃げたくなる。そうやって渇愛(愛)が生まれて、執着(取)が生まれて、さらにこの存在(有)が続いていってしまう(生)のです。それで人間の生老病死(老死)という苦しみが延々と成り立っているのです。つまり「無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死」という十二因縁があるのです。これは「私」という存在の解読なのです。」

十二因縁は「私自身の生きる苦しみを説明したもの」との記述もある。なるほど、とは思うが腑には落ちない。私がこの説明を理解できないからだ。著者はたぶんものすごく深いことを簡単に述べている。つまり説明を端折っている。このような思想にもっとたくさん触れないと理解は進まないのだろう。高校数学で必要条件と十分条件を習って、大学に入ってしばらくしてからやっとその違いが腑に落ちる。そんなことなんだろうと思う。
『般若心経は間違い?』 (宝島社新書)

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。