『大聖堂』レイモンド・カーヴァー

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村上春樹 訳。中央公論新社。

 レイモンド・カーヴァーの短編集。表題作を含めて12の短編が収められている。どの短編も、日常の一場面を切り取って作ったような印象を受ける。そして、作品ひとつで物語が完結している、という感じがしない。すべての短編を読み終わった今でも、すべての話がずっと続いたままのような気がするのだ。読後の余韻がそれほど強烈に残ったままなのだ。勿論結末みたいなものを示唆して終わっているものもある。だが多くは、それすら読者の想像の中に委ねている、そんな感じなのだ。初めのうちはそういった物語の切り方がもどかしかった。しかし何度もそうした余韻を味わっているうちに、レイモンド・カーヴァーの虜になってしまった。以下、気に入った短編を数編紹介する。

『ささやかだけれど、役に立つこと』
ある子供が誕生日の朝に交通事故に遭ってしまう。そして意識不明のまま両親に見守られながら病院で時を過ごす。その間通奏低音のように両親の元に何度もかかってくる不審な電話(その電話の主は読者にはわかっているのだけれど)。それによって心を乱される夫婦。すべてが終わってしまったあと妻はその電話の主に気づく。そして夫婦でそこに怒鳴り込む。その後そこで起こったこととは・・・。これは感動ものの話である。

『ぼくが電話をかけている場所』
「僕」はアルコール中毒治療所で治療中。そこで出会ったJPという男と話をしている。このJPの話がおもしろい。彼とその彼女とのなれそめ、結婚、仕事、この治療所に来ることになった経緯。その彼女がJPを迎えにくる。その後「僕」は電話をかける。妻に?ガールフレンドに?
何かが一歩前に進み出る予感がする。

『熱』
突然妻に家を出て行かれるカーライル。彼は美術教師で、小さな子供が二人いる。ひどいベビーシッターを雇ったあとに、とてもすばらしいベビーシッターに恵まれる。実はこれには家を出て行った妻が絡んでいる。そう、彼の妻と彼との間にはずっと電話などでのやりとりが続いているのだ。そこがまたどきどきさせる。ある時彼は高熱に見舞われ、寝込む羽目に陥る。そのときにベビーシッターに知らされる衝撃の事実。そんな中、カーライルの口から彼のこれまでの人生についてのすべてが語られる。その語りによって、彼はとても大きなものを得る。でも今後彼に何が起こるのかは知らされないままだ。

『大聖堂』
表題作である。妻の昔からの友達である盲人が「私」の家に泊まりに来ることになった。「私」はこの盲人のことを快く思っていない。彼がこの家にやってきたあとも、「私」はどうにもうまく立ち回れない。そのうち夜中になり、「私」と盲人は二人きりになる。テレビからは各地の大聖堂の映像が流れている。「私」は大聖堂の説明を試みるがうまくできない。その後盲人の発案で大聖堂の絵を描くことになる。「私」が動かす手の上には盲人の手が乗っかっている。いわば共同作業。この部分は実に感動的である。そして物語は終わる。

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shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。