『その「エコ常識」が環境を破壊する』武田邦彦

 青春出版社(青春新書)。著者は資源材料工学の専門家。本書は『環境に優しい生活をするために「リサイクル」してはいけない』を改題し、加筆・修正・再編集したものである。
 この問題は非常にセンシティブな面を持っているので、正直な話コメントしづらいのであるが、私なりの見解を(苦し紛れではあるが)述べてみよう。
 本書は「「良いこと」はなぜ「悪の温床」になるのでしょうか?」との挑発的な文章で始まっている。そして、「アルミ缶や貴金属などほんの一部のものを除いては」リサイクルしてはいけないと締めくくる。本書の主張はほぼそれに尽きる。リサイクルしないでどうすればいいのか。焼却すればいい、と著者は主張する。焼却によってゴミは1気体、2灰、3メタル、4スラグになる。気体は二酸化炭素と水だから放っておく。灰は貴重なものを含んでいるので非鉄金属業界が有効に利用する。メタルも同様。スラグは埋め立てて国土を広げるのに使う。こんな具合である。
 そもそも何故リサイクルしてはいけないのか。リサイクルをすることによって、リサイクルしないときよりも環境を汚すからである。その根拠の詳細については本書を読んでもらいたいが、ひとつだけここで紹介しておきたい(これは正しそうだから)。例えば鉱石は様々な金属を濃縮したものだから精錬しやすいが、一度社会に出てしまって薄く広く分布してしまうと、それを回収して利用しようとしたときに大変な手間と大量なエネルギーを使うというのだ。このことはエントロピーの概念を考えると理解しやすい。槌田敦の『エントロピーとエコロジー』(ダイヤモンド社)にわかりやすい説明が載っている(槌田は資源物理学者で武田と同じような出自を持っており、『環境保護運動はどこが間違っているのか』(宝島社)という本を出している。個人的には槌田の説明の方が真っ当に聞こえる)。武田のようにほとんど全てのリサイクルについて否定しているのは行き過ぎとしても、紙やペットボトルのリサイクルについて疑問の声を上げている本は割と存在する。例えば前出の『環境保護運動はどこが間違っているのか』(宝島社)、『ほんとうの環境問題』(養老孟司、池田清彦。新潮社)、『環境と健康』(安井至。丸善)などだ。参考にして欲しい(ただし安井は武田に対して批判的である。私は武田よりも安井の考えに近い)。
 ちょっと話がずれた。これらの主張を念頭に置いた上で、次のような行為をすることを勧めている。「手元にあるものを、寿命ぎりぎりまで使い切ること」である。だから、エコポイント制度は否定する。まだ使えるものをエコ製品に買い換えることによって、製造や廃棄にかかるエネルギー、節約される電気エネルギーがどうなるかを考えると、古い製品であっても長く使い続ける方がよい結果になるという。私はこの意見に賛成である。
 他にも色々なことが書かれているが、私はこれらの全てに賛同するわけではない。読者もかなり注意深く読むべきである。受け入れられる意見とそうでないものはきちんと区別するべきだ。
 例えば著者はLCA(Life Cycle Assessment、環境評価手法のひとつ)を否定するが、その根拠は曖昧である。そして資源や材料分野では「コスト(価格)というのは物質の使用量とエネルギーの量に比例してい」るとして、コストを使って環境評価をするのである。私はこの前提はかなり怪しいものだと思っている。もしかするとこの前提を使わなくても同様の結論が導かれるかもしれないが、著者はしばしば問題のすり替えを行っているので、注意する必要がある。
 以上が私の感想も合わせてのこの本の紹介である。結局私はこの問題についてどう考えているかというと、まだはっきりとした判断が下せない、という状態である。この本でも一部触れられている地球温暖化のこともそうであるが、環境問題をビジネスとしてしか考えていない人が少なからずいるので(そしてこれらの人々の影響力は意外に大きい)、環境問題を考えるときにはかなり注意深くなる必要があるのだ。環境に優しくない環境運動は必ず存在すると思っていい。それぞれの人が真面目に考え行動することを切に望む。

以下、amazonで見てみる(現在行われている環境運動を推進する立場の本は山ほどあるので、それらの本は各自探してみて欲しい)。
その「エコ常識」が環境を破壊する (青春新書)
エントロピーとエコロジー―「生命」と「生き方」を問う科学
環境保護運動はどこが間違っているのか? (宝島社新書)
ほんとうの環境問題
環境と健康―誤解・常識・非常識 信じ込んでいませんか?

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。