『動的平衡』福岡伸一

 木楽舎。Dynamic Equilibrium。副題は「生命はなぜそこに宿るのか」。著者は分子生物学者である。
 正直な話、肩すかしの連続だった。本としてのまとまりがないのだ。動的平衡という言葉は通奏低音のようにこの本の最初から最後まで鳴り響いている。しかしそれ自体に直接言及しているのは、一部を除いて最後の方に固まっている。私は動的平衡についての議論を期待してこの本を買ったのに、極端な話それは最後の方に押し込められているのだ。
 それぞれの話はおもしろい。年を取るとなぜ時間が早く過ぎるのか。コラーゲン摂取のおかしさ(この件については後にブログの単独記事として取り上げようと思う)。科学的なダイエット法の考察。ES細胞に関する話題。カニバリズム(人食いの習慣)を避ける理由、などなど。とはいえ、それらがつながらない。なぜか。あとがきを読んで、その理由がわかった。この本は『ソトコト』という環境雑誌に載せられた連載と『シグネチャー』というダイナースカード会員誌に載せられた記事を加筆、修正したものなのだ。私は編集の仕方に問題があると思うのだが、著者はこの本の題名を『動的平衡』とすることに迷いがなかったらしいので、著者の問題でもあるのだろう。
 動的平衡とは何か。本を読む前の私の理解では、方丈記の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」的なもの、すなわち、温泉の浴場の水はいつも同じ水位で変化してないように見えるけど、実はどんどん入れ替わっている。生物もそれと同じように細胞を構成している分子は刻々と入れ替わっており、例えば胃とか肺ですら何ヶ月かすると(見た目は同じなのに)全く違う細胞に変わってしまう。そういうことを動的平衡という、と認識していた。著者の見解は私の認識と同じ部分もあるが、少しニュアンスが違う。私の言葉で説明するのはちょっと難しいので、(ずるをして)著者の言葉を借りる。「生命とは機械ではない。そこには、機械とはまったく違うダイナミズムがある。生命の持つ柔らかさ、可変性、そして全体としてのバランスを保つ機能-それを、私は「動的な平衡状態」と呼びたいのである。」。これだけではわかりづらいかもしれない。詳細に迫りたい方は本書に直接当たっていただきたい。
 上で述べたように、その動的平衡をベースにしながら数々の生物学のエピソードを語るやり方は成功しているとは言い難いが、それらのエピソード自体はおもしろい。『生物と無生物のあいだ』で見せた文章のうまさはここでも光っている。
 ただし気になる点が2点ほどある。まずはルネ・デカルトに対する批判。デカルト主義者(カルティジアン)たちの言質に問題があるからと言ってデカルトを責めるのはどうなんだろう。彼の機械論的な考え方があってこそ今の著者の考え方も出てくるのであって、機械論的な考えを抜きにして、著者の生命観が生まれてきたかどうかは怪しい。
 それともうひとつ。ごく最後の方では現代の分子生物学批判(と言うか実際にはそれを利用する側に対する批判)が繰り広げられる。そこではロハス(Lifestyle Of Health And Sustainability)賛歌とも言うべき論述がなされ、アフリカのクニスナ地区の最後の象の話や、豚についての「心の理論」(一般的な用語ではないが、長くなるのでここでは説明しない)の考察などもなされる。それは(読む人によっては)感動的ですらあるのだが、気になるのはそこでの感傷的な語り口だ。これは『生物と無生物のあいだ』でも感じたことだが、著者はナイーヴすぎるのではないか。そのナイーヴさがあらぬ方向に行って暴走してしまうことを私は心配している。せっかくの頭を持っているのだから、落ち着いた議論をしてもらいたい。今後も彼の著書を読む機会はあると思われるが、その議論がどのような方向に向いていくのか、注視していきたい。

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shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。