『ゼノンのパラドックス』Joseph Mazur

 ジョセフ・メイザー。松浦俊輔訳。白揚社。副題「時間と空間をめぐる2500年の謎」。
 ギリシャの哲学者(?)ゼノンによるパラドックスは、4つの形が知られている。
1「2分割」-運動する物体はどこにも到達できない。なぜなら、どこに行くにしてもその中間点を通らなければならず、どこまで行っても目標地点との中間点までしかいけないから(その繰り返し)。逆に言うと中間点までもいけなくて、少しも動けないかも。
2「アキレスと亀」-アキレス(俊足の代名詞)の前方から出発した亀には、アキレスは追いつこうにも追いつけない。なぜなら、亀が最初いたところにアキレスが到達したときには、すでに亀は少しでも進んでいるから(その繰り返し)。
3「飛ぶ矢」-矢は飛べない。そこにとどまっているままだ。なぜなら個々の瞬間だけを見ると止まっているんだから、ある時間幅をとってみても止まっているはずだ。
4「競技場」-「ある長さの時間の半分は、全体に等しいこと。運動が等しければ、それにかかる時間も等しくなければならないのに、大きさの等しい物体を等しい数だけ通過するのにかかる時間は、その物体が静止しているか運動しているかで異なるからである。」(この4だけ原文の引用です。自分ではわかっているつもりだけれど、ややこしくて自分の言葉にはできない。でもこの説明文もわかりにくいよね)

 この本は思想・哲学関連の本棚に並んでいた。私もこれらの問題は数学の問題ではなく哲学の問題と認識していたから、特に疑問は持たなかった。でもこれは純粋な哲学書ではない。本書は運動を巡る壮大な科学史(あるいは思想史)である。
 舞台は紀元前5世紀のアテネから始まる。ソクラテス、パルメニデスとゼノンが話し込んでいる。ゼノンのパラドックスの始まりだ。その1世紀後のアリストテレスはこれに対してどう答えたのか。そして、アリストテレスの運動に関する考えは、以後1000年以上にも亘って支持されていく。それを打ち破ったのは誰か。それは時代なのかもしれない。ケンブリッジはマートンカレッジの数学者達、そしてガリレオ、コペルニクス、ケプラー、ニュートン・・・。速さが距離/時間で表されることがわかるのに至る道筋は平坦ではなかった。この辺りから、運動とは何かについて数学的見地からの道筋が立てられていく。

(このペースで読書感想文を書いていくととんでもなく長い記事になってしまいそうなので、以下まとめに入ってしまいます)

 という具合に、本書は運動を巡る科学者達の壮大な冒険を、四次元的な広がりを見せて展開させていく。それは相対性理論、量子力学、ストリング理論(一般には「ひも理論」とか「超ひも理論」とかの方が通りがいいかもしれない)にまで及ぶ。物質を原子よりももっと小さいレベルで見ていくとどうなるか。そのストリングとストリングとの間の宇宙的な距離はどうやって飛び越えるのか。その議論はゼノンのパラドックスの無限の論点と繋がっている。
 別の考えもある。1/2+1/4+1/8+1/16+・・・という無限級数は、数学的には有限数である「1」と同値である。でもそれをもってゼノンのパラドックスに答えたことにはならない。
 本書でその答えは得られるのだろうか。著者はゼノンにこんなことを言わせて締めくくる。
「もう二五〇〇年もこの問題を考えてきたら、物質もエネルギーに他ならず、逆も言えることがわかったではないか。何ごとも変化はしない。外の世界は、われわれの感覚によってのみ知られる素材かもしれず、そういった感覚は、色、匂い、触覚、そして運動の錯覚をもたらすのだ」

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shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。