『ヒューマンエラーは裁けるか』シドニー・デッカー

 東京大学出版会。Sidney Dekker。芳賀茂、監訳。副題「安全で公正な文化を築くには」。
 題名よりも副題の方が本書の内容をうまく表していると思う。
 医療や航空業界のような専門分野では、日々多くの失敗(ミス、エラー)が起こっている。そして、たまたまそのうちのひとつが重大な事故につながったとき、司法介入によりミスを起こした本人「だけ」が刑事訴追されるということが、たびたび起きている。その事故が起こるのに重要な役割を演じたであろう周辺の状況、システムの構造等は温存されたままで。
 著者のいう公正な文化では(以下、引用)、
「失敗への対応として、次の二つを両立するような説明を行うことを重要視している。
・説明責任に対する要求を満足させること。
・学習や改善に貢献すること。」
ヒューマンエラーを起こした本人のみに責任を押し付けることは、このどちらにも寄与しない。たとえば事故調査委員会などの調査では、これらの説明をきちんと行う傾向にあるが、司法介入はそれらの調査の妨げになる。また、エラーを今後の改善につなげるためには、日常のエラーを日々報告して組織内などで情報を共有、利用していく必要があるが、そのエラーを報告することで訴追の可能性があると思えば、報告自体がなされなくなるという悪影響も起きる。ここで、司法が介入することによって、うやむやになっていた事実関係が整理され、真実が明らかにされるのではないか、との疑問が出てくるかもしれない。しかし著者は、多くのページを割いて、実際にはそうなっていないことを説明する。真実はひとつとは限らず、裁判所はそれらの真実のうちのひとつを、もっともらしくストーリーに仕立て上げているに過ぎないというのだ(余談だが、名探偵コナンのセリフ「真実はいつもひとつ」というのは間違っていると思う)。このように、司法処理について著者は厳しい。じゃあどうすればいいの、ということに関して、著者はいくつかの解決策について本書の中で検討しているので、ぜひ読んでいただきたい。
 事故が起きたとき、どのような方法で対応するのが公正な文化といえるのか、著者は我々に厳しく問うている。

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shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。

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