『構造構成主義とは何か』西條 剛央

 北大路書房。副題「次世代人間科学の原理」。
 構造構成主義は著者が打ち立てた人間科学におけるメタ理論である。「メタ」というととたんに抽象的になってしまう感があるが、簡単にいうと、世界をどのように認識するか、という考え方を示したものである。人間科学といっても色々とある。厳密に数値を統計的に扱うハードサイエンス的なものから、臨床研究のようなソフトサイエンス的なものまで様々である。ともすればそれらの主義主張は対立し、それが不毛な議論を生むようなことも起こる。構造構成主義は、それらを包括し、その対立を雲散霧消してしまうので、有意義なコラボレーションを生み出すことにつながるという。そんなことって本当にできるのか。そこが、「考え方」なのである(私は構造構成主義の意義をそのように受け取った)。
 構造構成主義は哲学と科学という二つの領域をドッキングさせることによって生まれた。哲学の側からは主にフッサール現象学と竹田青嗣現象学、科学の側からは池田清彦の構造主義科学論。それにソシュールやレヴィ=ストロースからのエッセンスをほんの少し。本書の大部分は、それらからどのように構造構成主義が導出されるか、ということを解説している。そして最後の方で少しだけ、構造構成主義の適用例を紹介する。適用例としては、人間科学的医学の例がよくまとまっている。
 ところで、構造という言葉は実にわかりづらい。構造とはシステムのことではない。システムは存在的概念で、構造は存在論的概念である。構造は関心相関的に立ち現れてくる。ここでの構造は方法論や筋道と考えるといいかもしれない。関心は個々の研究者や個人によって異なるのであるから、そこから立ち現れてくる構造は複数あることになる。つまり構造(方法論)は多元的であり、それによって構造構成主義は様々な立場の研究領域をまとめ上げる力を持つことができる。著者はこのように主張しているんだと私は理解した。
 構造構成主義は人間科学だけに限る必要はまったくないのであって、科学(自然科学とか人文科学、医学全般)の領域すべてを俯瞰できる立場にある理論なのだと感じた。ただしその理論的基盤は本書が主張しているほどには磐石ではない印象を持つ。まず、前半の哲学的な論述はちょっとばかり雑である。エッセンスはうまく取り出してはいるのだろうが、そのつながりは自明ではない。また、科学の側からのアプローチは池田の構造主義的科学論をそのまま用いており、その妥当性について詰めた議論は行われていない。もう少し丁寧な論述の進め方をしてもらいたかった。大きな可能性があると思えるのに、少しもったいない。
 構造構成主義に対しては、そんな当たり前のことをわざわざ大上段ぶって主張するほどのことではない、とする意見も多数あるようだ。しかしその当たり前のように見えることが実は研究者間で共有化されていない、ということもまた事実なのだと思う。さらにまた、当たり前に見えるが故に、これまできちんと理論化されてこなかったということもあるだろう。そのことが構造構成主義の意義を引き下げることにはならないと私は思う。
 余談だが、この論の元になっている池田清彦の著作群はおもしろい。私は好んでこの人の本を読んでいる。

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shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。