『人間の条件』ハンナ・アレント

 ちくま学芸文庫。Hannah Arendt。志水速雄 訳。
 本書はもともと、シカゴ大学で行われた「活動的生活」という一連の講義の内容である。「人間の条件」という表題よりは「活動的生活」の方が、本書の内容にぴったり来るように思われる。
 ともあれ、著者は人間の条件の最も基本的な要素として、労働、仕事、活動の3つを挙げる。そしてこの3つのことを指して、活動的生活と呼んでいる。これは「私たちが行なっていること」である。実のところ、労働と仕事の区別は現代に生きる者にとってちょっとわかりづらい。それは現代では、かつて仕事と呼ばれていた部分が労働に組み込まれてしまっているからだと言える。そして現代では労働は善であるとの語られ方をすることが多いが、古代、特に古代ギリシアでは必ずしもそうではなかった。労働は消費されるものであり、何かの生産物を作り出す仕事とは厳密に区別されていた。そして労働を担うのは奴隷であって、ポリスの成員である市民は労働しなかった。その代わりに政治あるいは活動に携わっていた。ここで、労働ばかりでなく奴隷の概念も今とは大分異なっていることは興味深い。また労働は私的領域に係ることであり(ちょっと違うかも)、政治は公的領域に係ることあったが、現代ではどちらの領域もあやふやになり、大衆社会に取って代わられた。大衆社会はいわば消費社会であり、もともと消費されるものであった労働がこのように前面に出てきた時代こそが現代だというわけである。著者は、このように仕事や活動よりも労働こそが上に位置する現代という社会に、何らかの危惧を抱いているようなそんな雰囲気がある。それが実際にどのような危惧であるのかを読み取る読解力は私にはなかったが、それもまたひとつのテーマなのだろうと思う。
 正直なところこの本は難解で、私の手に負えるような代物ではなかった。だからもしかすると、上で述べたような私の理解も見当違いなのかもしれない。興味のある人は実際に本書に当たってほしい。
 著者はいつでも思想(?)の源流を探ることを忘れない。そしてその源流から始まって、それが時代を追うごとにどのような変遷を辿ってきたのかを丁寧になぞっていく。それだけに著者の言い分には説得力がある。ただしこのことで、現代私たちが使っている言葉と著者のその言葉のとらえ方の間に開きがでてしまい、読者としては軽い戸惑いを感じることにもなる。著者の言葉には歴史の重みがあるが、私たちにはそれがない、と言えばいいだろうか。例えば著者が「労働」という言葉を発したとき、著者の中ではそのイメージは多くの意味を含むものとなっているのだが、現代に生きる私たちが「労働」という言葉に対して持つイメージとそれとはかなり異なる。本書を読み進めるにつれその壁は埋まっていくとはいえ、著者から引き離されないように食らいついていくのは、少しばかりエネルギーがいる。しかしながらそれだけのエネルギーをつぎ込んで読み切ったその先には、読者の中にそれまでにはなかったもうひとつの眼が生まれていることは確かであろう。

amazonで見てみる

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。