『超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』』竹田 青嗣、西 研

 講談社現代新書。
 1807年に書かれたヘーゲルの『精神現象学』はとても難解な書物らしい。でもおそらく、それを読みこなせたとしたら、実におもしろい本なのだと思う。この『超解読!はじめての~』自体が十分におもしろい本だから。著者(竹田、西)は、本書を書く前に『完全解読ヘーゲル『精神現象学』』という本を出している。これも一般読者が理解できるように、と書かれたものだが、これですら難しすぎるという声が多数あり、本書を上梓することにしたらしい。
 『精神現象学』の主人公は「意識」であり、「この意識がさまざまな経験を積んで成長していくという物語」が『精神現象学』の大筋なのだという。ではこの物語全体を貫くモチーフは何なのか。それは「自由のゆくえの問い」だと著者はいう。近代になって生まれた自由な内面を持つ個人が、自己や他者、社会に対してどういう態度をとるべきか、これこそが『精神現象学』の最大の問いなのだという。この成長物語は、一個人の成長記録というだけでなく、人類の歴史そのものでもある、とヘーゲルは考えていたようだ。個人と共同体の意思が調和していたギリシャ時代から、個人が自由というものを持ち始めたローマ時代、そして近世、近代と時代を追うごとに変わっていった意識。これはそのまま、ストア学派からスケプシス主義(懐疑主義)、キリスト教の思想、理神論、唯物論、功利主義、そしてカントの道徳論につながる思想史でもある。この壮大な物語の先にヘーゲルは何を見たのか。その思考の流れが素人でも理解できるように易しく(いや、易しくはない。比較的易しく、というべきか)書かれている。個人はどのようにして救済されるとヘーゲルは考えたのか、という観点から本書を読んでもおもしろいかもしれない。
 自分の経験とものそのもの(カント風にいえば物自体)との差異を人類はどのように埋めようとしたのか。個人と他者との間の承認を巡るせめぎ合い。これらの物語も非常に興味深かった。しかし一番おもしろかったのは、道徳から良心にかけての一連の議論だった。何が正しいかの理想を持って、自分も他人もそれに従うべきだと考える道徳。何が本当に正しいのかはわからないけれど、自分はなにがしかの信念に則って正しいことを行いたいと考える良心。ヘーゲルは良心の方に肩を持ったけれど、その良心とて問題を抱えていないわけではない。ではどうすれば・・・。ヘーゲルはここにひとつの答えを与えたが、その答えそのものよりも、そこに至る思考の流れを追うのが実に楽しかった。
 ヘーゲルは難しそう、と今まで距離を置いていたとしたら、この本なら手に取ってみても大丈夫かもしれない。

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shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。