『知性の限界』高橋 昌一郎

 講談社現代新書。副題「不可測性・不確実性・不可知性」。
 本書は『理性の限界』(私の記事)の続編として書かれたもので、前書と同じく、専門家、素人入り乱れてのシンポジウム形式で進んでいく。内容的には、前書よりも哲学的な話題が多くなっており、前回冷たくあしらわれていた「カント主義者」も少しはましな扱いを受けている。そして、おそらくこの哲学寄りの内容になっているせいであると思われるのだが、前書のような歯切れの良さといったものは多少犠牲になっており、焦点がややぼやけ気味になっているように感じた。とはいえ、読んだときのおもしろさは相変わらずで、『理性の限界』と併せて『知性の限界』も読んでみることをお勧めする。
 さて、副題の3つの言葉はそれぞれ、「言語の限界」、「予測の限界」、「思考の限界」に対応している。しかし『理性の限界』のときのように副題と定理等が直につながっているわけではないので、少し対応がわかりにくい(前書では、不可能性・不確定性・不完全性という言葉が、それぞれ「アロウの不可能性定理」、「ハイゼンベルクの不確定性原理」、「ゲーデルの不完全性定理」と対応していた)。
 「言語の限界」では主にウィトゲンシュタインの思想が紹介されている。前期の『論理哲学論考』から、「言語ゲーム」や「生活形式」に代表される後期の思想まで、バランスよく論じられている。それにクワインの「指示の不可測性」、ハンソンの「観察の理論負荷性」などの話題を取り入れつつ、最後は哲学畑と科学畑との間に起きた「サイエンス・ウォーズ」で章を終えている。個人的には「サイエンス・ウォーズ」がその後どういう収束の仕方をしたのか気になったのだが、そこまで詳しくは論じられていなかった。
 「予測の限界」では、歴史が繰り返すことを前提にしている「帰納法」の正当性という議論から、必ずしも「帰納法」が正しいとは限らないことが示される。その論拠のひとつとして取り上げられているのがポパーの反証主義で、これは「進化論的科学論」につながっているという。ほかにこの章では複雑系や地震予知に係る話題なども出てくる。
 「思考の限界」では「人間原理」について述べられている。「人間原理」とは、極論すると、宇宙は人間を存在させるために様々な物理定数を微調整して決めてきた、というものだ。一見、眉唾物としか考えられない原理だが、意外に説得力も持ち合わせていて悩ましい。この章ではファイヤアーベントの知のアナーキズム(何でもあり、という理論)や神の存在証明なども取り上げられている。私には煮え切らない議論に思えてしまったが、それだけ「思考の限界」に関する議論というのは、なかなか結論のでない話題なのかもしれない。
 以上が本書の概要であるが、『理性の限界』とこの『知性の限界』とを併せて考えてみると、哲学や科学で捉えられる範囲は意外に狭く、その中でも今現在わかっていることはさらに少ない、という印象を持ってしまった。しかし、それは逆にいうと、哲学や科学の発展の可能性がまだまだ大きいということでもあるので、私としてはその可能性にかけてみたい。それにしても、この限界の存在を認めたくない人はかなり多いのではないか、とも感じた。2冊とも、なかなかにおもしろい本である。

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shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。