『語りえぬものを語る』野矢 茂樹

 講談社。
 「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」とは、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の最後の命題である。ただ示されうる。これに対して野矢は「語りえぬものを語る」というのだから、手に取らないわけにはいかない。野矢は『論理哲学論考』の呪縛から抜け出ようとしている。ウィトゲンシュタインがその後『哲学探究』で行ったように。
 この本はある雑誌に掲載された26編の連載と、それに対する74編のコラム風の註からなっている。内容は、相対主義の話、相貌論の話、懐疑論について、私的言語について、隠喩について、自由と決定論について、というように多岐にわたっている。でも一貫して、相対主義者としての野矢の姿が全編にわたって立ち現れているように感じる。「絶対」は絶対にない、という相対主義者の発言をどのように解釈したらよいのかについての議論(相対主義者が「絶対」という言葉を使ったらおかしいんじゃないの?という指摘についての反論とか)など、素朴に楽しい。その中で「相対主義は語りえない」などと書かれていたりするものだから、本書のタイトルとの整合性に疑問符をつけたくなったりもするけれど、野矢の真意はたぶんそんなところにはないのであろう。そこを読み解くのは意外と難儀だったりするのだけれど。
 これまでなされてきた多くの哲学論議と違って、野矢は突飛な結論には飛びつかない。あくまで現実に寄り添って、日常感覚と齟齬を来さないように丁寧に議論を進めていく。そのためかどうかはわからないけれど、ズバッという爽快さはなく、何か曖昧模糊とした煙の中で雲をもつかむような歯切れのなさを感じないでもない。たぶん相貌論なんかはその最たるものだろう。でもそれは野矢の良心なんだと思う。一般の人が感じているように世界を見る。そしてそのように世界を解釈する。その姿勢に好感を持つ。
 難しいところは結構あるけれど、取り上げているテーマはおもしろいし、語られる言葉もやさしい(内容がやさしいわけではない)。「猫は後悔するか」「思考不可能なものは考えられないか」「そんなにたくさんは考えられない」「私にしか理解できない言葉」「うまく言い表せない」「科学は世界を語り尽くせない」といった興味深い章が並んでいる。私は十分楽しめた。ただ、核心を言い得ているか微妙なところに物足りなさを感じる人はいると思う。好き好きだけれど、私はいいと思う。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。