『サイエンティフィック・リテラシー』廣野 喜幸

 丸善。副題『科学技術リスクを考える』。
 サイエンティフィック・リテラシー、つまり科学リテラシーとは、平たくいえば、科学について読み解く力、科学の本質を見抜く力のことなんだろうと思う。この科学リテラシーや科学技術コミュニケーションに関する書籍は数多く出版されているが、その多くは自然に関する知識やそれをいかに人々に伝えるかという内容になっていて、それでは片手落ちなんじゃないかと著者はいう。そして本書ではその片手落ちの部分、つまりは科学技術リスク・コミュニケーション論とでも呼ぶべき領域に焦点を絞って解説を試みている。
 リスクという言葉はつくづく厄介な言葉だと思う。各人各様にいろいろな解釈なり感じ方があって、例えば交通事故のリスク、喫煙のリスク、原子力発電のリスクという言葉を聞いたとき、みんながみんな同じイメージを思い浮かべるわけではない。そのリスクを比較するとき、どうしてもリスクを過大評価したり過小評価したりというバイアスがかかってくる。では専門家の間では統一された見解があるのかといえば必ずしもそうでもない(ただし、もちろん専門家の方がしっかりとしたリスク概念を共有しているだろう)。さらにいえば素人と比較したとき、専門家には専門家特有のバイアスがかかってしまうという事態も起こりうる。かように厄介なリスクであるが、本書では科学者たちにある程度共有されているリスク概念を何とか立体的に俯瞰できるように導いてくれる。そこには科学的に記述することの限界も透けて見える。その限界を見据えることもまた科学リテラシーなのだと思う。「リスクを知るには科学技術に依拠しなければならない」が、科学に基づかないリスク議論を行ってしまう専門家もいると指摘している。この本を読めば、そんな科学「風」な議論を見破ることもできるようになるかもしれない。
 本書は数字が多い。リスクの数値化について多くの紙幅を割いている。自然災害のリスク、チェルノブイリ原発事故のリスク、飛行機事故のリスク、インフルエンザのリスク……。この数値化はリスクを語るときに避けては通れない。このことによって初めて、チェルノブイリ原発事故のリスクが調査機関によって異なるという驚きも味わうことができる。ここでの数値は、どれも科学的ではあるのだ。ではなぜ異なるのか。そのリスクの見積もり方にまで目を向けることもまた、科学リテラシーの一部なのだ。
 著者は寺田寅彦の言葉、「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」という言葉を引用して、リスクに向き合う際のバランス感覚の重要性を説く。そのバランス感覚を磨くのは難しいことではあるが、本書はそれを磨く一助となってくれることだろう。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。