『科学コミュニケーション論』藤垣 裕子、廣野 喜幸[編]

 東京大学出版会。
 本書は「科学コミュニケーション」とは何かということよりもむしろ「科学コミュニケーション論」とは何かについて書かれている。私は科学コミュニケーション論の理論的枠組みがどうなっているのかということについてはあまり興味がなかったので、さしておもしろい本だとは思われなかった。「東京大学科学技術インタープリター養成プログラム」の中の授業のために整備された本だということを知って、なるほどとは思った。教科書であれば、こういう内容になってもしょうがない。「歴史と背景」「理論」「実践と実態調査」「隣接領域との関係」という章立てになっている。
 でもおもしろい部分はあった。私たちはこう考えがちだ。市民が科学に対して良いイメージを持っていないのは、科学知識が足りていないからだ。だから、教育や科学コミュニケーションによって市民の科学知識を増やしていけば、科学に肯定的な意見もまた増えてくるだろう、と。でもそういう考え方は「欠如モデル」と言われ、実態とはかけ離れているという批判が多く寄せられているのだという。科学コミュニケーションとは、科学者から市民へという一方向のものなのではなく、市民から科学者へと向かう線もある双方向的なものなのだという。科学コミュニケーションがきちんと成り立つためには、「一般市民が適切な科学技術リテラシーをもつだけではなく、科学者も市民リテラシー・社会リテラシーを身につけるべきだ」というのだ。言われてみれば確かにそうかもしれない。科学を専攻した者にとってはあまりに馬鹿げたことだと思われる事象がわりと世の中では起こっていて、それは科学知識が足りないせいだと科学の側からは思いがちだ。そして一般市民に対して科学の言葉で情報発信しても一般市民には分かってもらえない。そんなことがよく起こる。でもそれは一般市民だけが悪いわけではない。科学者の方もまた悪い面があるのだ。そこに双方向のコミュニケーションが成り立っていないせいで、科学側と一般市民側が折り合えないのだ。今までそういう風に科学コミュニケーションを考えたことがなかったので、目から鱗だった。科学コミュニケーション論の世界ではそんなことはもうずっと昔から言われていたことだとはいうのだが。
 こんな風に、ところどころに興味深い内容が書かれてはいるものの、全体的にはちょっとお堅いイメージがついて回った。科学コミュニケーション論を系統的に学ぶ人にはいいのかもしれないが、「一般市民」向けではない。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。

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