『借りの哲学』ナタリー・サルトゥー=ラジュ

 太田出版。高野優 監訳、小林重裕 訳。
 「借り」というのは狭い意味では負債と捉えることもできるが、広くは恩だったり贈与だったりする。私はあの人に借りがある。そんな「借り」についての哲学。
 昔は「借り」をするということは隷属されることにもつながっていたらしい。そういう関係は『ヴェニスの商人』という話に見られるという。また、新約聖書の中でキリストが磔刑に処せられるのは、人間が生まれながらに持っている原罪をキリストが肩代わりして、代わりに人間に「借り」を作ったと取ることもできる(そう取らないこともできるが)。「借り」は人に返済の義務を負わせ、義務は人を縛る。ところが資本主義が生まれて等価交換という概念がでてくると、そんな「借り」というものはチャラにできるものになった。そうすると人間は「借り」から自由になることができた。しかしそれは幸福への道ではなかった。
 そんな風にしてさまざまなテクストを例に取りながら、「借り」について考えていく。ふつうこの言葉はあまりプラスの言葉としては語られない。しかし著者は「借り」によってよりよい社会を作り上げていくことを提案する。
 人間はひとりでは生きていけない。いわば生まれた瞬間から親や社会から「借り」をもたされている。それを貸した人に対して返していくのは難しい。「借り」をなかったことにするか。いや、もっとよい方法がある。ではどうすればいいか。次世代に返していけばいいのではないか。その連鎖が社会をよい方向にもっていくのではないか。
 実際にはここまで単純な議論をしているわけではないのだが、「借り」の負の側面を逆にプラス方向に考えて、「借り」の積極的な価値について考察しているのは事実だ。そんな意外に重たくて深い「借り」の哲学。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。