『心という難問』野矢 茂樹

 講談社。副題『空間・身体・意味』。
 目の前にリンゴがある。私はそれを見ている。リンゴという実物がそこにあって、それを脳が知覚イメージに変換して、それを私はリンゴとして認識している。ではリンゴはどこにあるのか。ここ、と指さす。うん、そうだよな。でもそれも知覚イメージであって実物じゃないんじゃないかと反論がくる。じゃあ、脳の中にリンゴがあるのか。ちょっと状況を変えよう。テレビの中にリンゴが映っている。どこにあるのか。ここ、とテレビ画像を指さす。いや、そこにはリンゴはない。じゃあ、やっぱり脳の中にリンゴがある?実物のリンゴにはどうやったらたどり着けるんだろう。
 彼女が腕が痛いという。私はその痛みをわかることはできるのだろうか。自分の痛みならわかる。それから類推して彼女の痛みを想像してみる。うん、痛い。でもそれって彼女の腕に自分の痛みを感じたということで、彼女の痛みじゃないんじゃないか。他人の痛みは自分には絶対にわからないんじゃないか。
 なんかいろいろと考えていくと、自分の知覚や感覚が本当はどういう仕組みになっているのか、訳がわからなくなる。実は哲学という学問の中でも様々な考え方があって、それに決着がついたわけではない。哲学じゃなくて科学だったらきっちりと答えが出せるんじゃないのかというと、そうともいえない。
 そんな心の難問に野矢が挑む。哲学というと何だか難しい言葉を使って突飛な考え方を展開していくというイメージがあるけれど、彼はあくまでふつうの一般人がふつうに感じているその感覚を大事にして、それに寄り添うように答えを導いていく。本書では、空間・身体についての眺望論と、意味についての相貌論という2つの考え方を軸にして、人の知覚や感覚という心の問題を解決していく。心というものはどんな仕組みで成り立っているのか、ひとつの考え方を示してくれる。それに納得できるかどうかは読者次第ではあるけれど、哲学ってこうやってやるんだ、といういい見本になってくれているのは間違いない。いい本だと思う。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。