『アダム・スミス 競争と共感、そして自由な社会へ』高 哲男

 講談社選書メチエ。
 アダム・スミスといえば、近現代の経済学のさきがけとも言われる1776年の『国富論』が有名であるけれど、それに先立つ1756年には倫理学についての『道徳感情論』という本を書いている。高哲男による本書はこれら2冊のアダム・スミスの主著を底本とし、彼の思想を読み解いていく。入門者向けの本とはいえ、なるべく原著からの引用を多くして、アダム・スミスに対する誤解を解き、彼の真の姿を紹介しようとの気概が伺える。
 当初アダム・スミスの名前を目にしたとき、ああ、あの自由放任主義の神の「見えざる手」の人ね、なんて思って本書を手にしたわけだけれど、それは大いなる誤解だということをこの本を実際に読んでみて知ることができた。確かに彼は自由経済を説いて、各個人が自由にお金儲け(と言ってはちょっと語弊があるかもしれないけれど)をしたとすれば、貧者も富者も合わせてみんなが幸せになるんだみたいなことは言っている。でも彼が説いたのは「自由放任」ではなかったし、貧者と富者の格差も容認していなかった。そもそも「見えざる手」という言葉が出てきたのは1か所だけだったということであるし。
 たぶんアダム・スミスの思想を理解するには、『国富論』の斜め読みだけではだめで、『道徳感情論』における「共感」と言う概念も交えて考えないと、真の姿を追うことはできないのだということなのだ。「共感」というのはもちろん他者に対する「共感」を指すわけで、これなしに他者理解は成立しないのだという。他人を思い、その制約の中で自由経済を実践したならば、格差が生じることなくみんなが幸せになる。ちょっとまとめすぎなのかもしれないけれど、簡単に言えばそういうことなんだと思う。
 そして強く感じたのは、アダム・スミスの考え方はとても素朴で(当時は画期的だったのかもしれないけれど)、現代に生きる我々が腑に落ちる部分もかなりあるということだった。もちろん彼の考え方をそのまま実践してうまく世の中の経済が回るほど、現代社会は単純ではないし(18世紀でも同じだろう)、実践すら困難な状態なのかもしれない。しかし我々は、現代の経済学を学びつつ、アダム・スミスの考えた経済についてもひと通り目を通しておいても、決して無駄な営みとはならないだろうと思う。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。