『日本語は哲学する言語である』小浜 逸郎

 徳間書店。
 日本語は、悪い意味で「非論理的で、曖昧で、情緒に流れる」とみなされてきたけれど、それって本当に欧米の言葉に比べて劣っていることなのか。そうじゃないんじゃないか、という問題意識を持って、この本は書かれている。そして、「日本語を哲学する」という面と「日本語で哲学する」という面の、ふたつの方向から哲学的考察を試みている。
 そういう問題意識のため、前半は西洋哲学批判的な内容となっており、それに対する日本語の哲学を新たに提示している。当然そこには日本語の文法構造の捉え方の問題も関わってきており、私たちが義務教育で教わってきた日本語文法は本質とずれているんじゃないかという指摘も数多くなされている。
 正直なところ、自分だけが正しくて他の人の考えは間違っているというような独断的な口調は、読んでいてあまり楽しいものではなかった。特に西洋哲学に対する批判は、バランスを欠いているように思えた。その論理展開は悪意すら感じ、著者の提示する哲学も、納得感はなかった。それは私が西洋哲学的論考に毒されているせいだと逆に論破されそうだけれど。
 ただし、哲学じゃなくて日本語論として読めた部分は、結構興味深く読み進めることができた。わざわざ哲学なんて大上段にふりかぶらないで、ただ日本語研究の本にしておけば面白い本だったろうに、と思わないわけでもない。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。