『憲法とは何か』長谷部 恭男

 岩波新書。
 戦後日本国憲法ができてから、ずっと改憲運動はあったけれど、実際に改憲されたことはない。一時期息を潜めていた改憲論がまた元気を取り戻してきたのは、ここ10、20年くらいだろうか。改憲派も護憲派も、本当は憲法のことをわかっていないんじゃないだろうか。おそらくはそんな危惧があったからこそ、この本は書かれたんだと思う。
 立憲主義とは何か、民主主義とは何か、国境とは何か、憲法とは何か。そんなことを本書は論じている。この世界には多種多様な考え方を持った人がいて、それぞれが好き勝手なことをしていたらこの世の中はうまくいかない。かといってその多様性をなくして、みんなひとつの方向にまとめようとしても、これまたうまくいかない。だから、私的な領域と公的な領域を分けて考えて、前者については基本的に自由な活動を許し、後者に関しては憲法などで縛りを入れて自由を少し制限しようか、というのが立憲主義の根底にはあるらしい。うーん、そういう風に考えたことはなかったなあと、目から鱗が落ちた。憲法はよく、権力を縛るためにあるなんていわれるけれど(そしてそれすらも理解していない人がいるけれど)、それだけじゃないんだなあと考えを改めた。
 憲法と憲法典は違うし、憲法典を変えたからといって世の中は変わらないこともあるし、憲法典を変えたら滅茶苦茶世の中が変わることもあり得る。ふつうの法律の運用でどうにかなることをわざわざ憲法に謳う必要なんかない、というのは、なるほど頷ける。
 戦争というのは敵国の憲法を変えることが目的だ。国を守るということはその国の国民や土地を守ることなんじゃなくて、憲法などからなる国の形を守ることだ、とか言われると、今新聞とか政治家が騒いでいる憲法論議はなんだかずれているところに走っていて、国民も誤解を持ったまま改憲だ、護憲だと騒いでるだけのような気がしてくる。ここはちゃんと憲法について勉強をして、時間をかけてゆっくりと取り組むべきだな、という感想を持った。そして、世論が憲法についての理解が進んでいない状態で改憲を強引に進めるのは危険な気がしてきた。それは護憲という意味なのではなく、今のままである程度うまくいっていることを、わざわざ危険を冒してまで変える必要はないんだという意味で。改憲には、国民全体を巻き込んだ丁寧な論議が、まだまだ必要だろう。

shizukiaki

札幌で絵やイラストを描いています。音楽や読書も好きなので、ブログではいろいろなジャンルの投稿をしています。